ジャーナリズムの最高倫理である『取材源秘匿の原則』を朝日新聞があっさり破ってる件

ここ数日メディアを騒がせてきた、アルジェリア人質事件だが、日本人7名が死亡、3名がいまだに安否不明という痛ましい結果になった。

この件で日本政府と日揮は、どうやら死亡者の氏名を明かさない方針らしい。その事について、ネット上では色々と意見が飛び交っていた。

「人質犠牲者の実名は非公表」を支持する遺族、一方で「弔いのために」公開せよという記者も – NAVER まとめ 

と、ふと上記のリンク先を見て驚いた。

なんと朝日新聞が、死亡者の遺族に「実名を公表しない」という約束で取材したにもかかわらず、その約束を反故にして実名を掲載し、それどころかfacebookの写真を無断で転載したというのである。

以下が、その無断転載された方のブログ。

叔父を誇りに思います | モトシロブログ

アクセスが集中してるせいかサーバーに接続できないので、キャッシュから引用させていただきます。

昨夜、菅官房長官が被害者の実名は公表しないと明言してくれたので安心していたところ、今朝の朝日新聞を見てガッカリしました。実名を公表しないという約束で答えた取材の内容に実名を加え、さらにフェイスブックの写真を無断で掲載しておりました。

ただでさえ昨夜の発表を受け入れるのが精一杯の私たち家族にとって、こんなひどい仕打ちはありません。記者としてのモラルを疑います。

16日の事件発生から昨夜まで、日揮の情報はとても少なくて、私たち家族は日本の報道や海外メディアの不確かな情報に一喜一憂し、振り回されておりました。なぜ日揮はここまで情報を出すのに慎重に慎重を重ねていたのか疑問だったのです。それが昨夜の菅官房長官の「被害者の実名は公表しません」という言葉で分かりました。彼らは私たち被害者家族を守るために細心の注意を払っていたのです。

いまだ大変危険な状態のイナメナスに命がけで安否確認のために現地入りした、日揮の川名浩一社長と城内実外務政務官、人命よりもテロ掃討を優先し、価値観、考え方、近隣諸国との社会情勢など様々な事情により、まったく話が通じないアルジェリアを相手にイニシアチブをとって情報を引き出してくれた安倍首相、現地で訳の分からない扱いを受けることなく日本人の形式でしっかり棺に入れていただき、専用機で日本まで連れて帰ってくれるということなど今回の一連の対応に心から感謝したいと思います。

技術者として世界を舞台に第一線で活躍していた叔父を誇りに思います。一日も早く日本に帰ってきてもらい「おかえりなさい、お疲れ様でした。」と言いたいです。

こんな状況にあっても尽力した関係者にきちんと感謝の意を表すご遺族には頭が下がる思いであり、一方で朝日新聞の行為は甚だ遺憾に思う。

約束を反故にして遺族のプライバシーを暴いた朝日新聞の行為には2つの瑕疵がある。ひとつはそれが遺族の感情を踏みにじる行為であること、もうひとつがジャーナリズムの最高倫理とも言える『取材源秘匿の原則』を犯していることである。

今回この『取材源秘匿の原則』について、いくつかの例を見ながら考えたい。

最高裁判例に見る『取材源秘匿の原則』

取材源秘匿の原則とは、文字どおりメディアが取材した対象を不利益から保護するために、本人を特定できる情報を隠匿することである。

日本ではこれを直接規定する法律はないが、憲法21条によって保護されるべきとの議論もある。また判例により言及されている例もある。

古くは1968年の博多駅テレビフィルム提出命令事件であり、近年では2006年にNHK記者が取材源の秘匿を理由に証言を拒否したことを最高裁が認めた判例がある。

この判例について上記リンクから引用すると、

最高裁第三小法廷は,「取材源は,一般に,みだりに開示されると,報道関係者と取材源となる者との間の信頼関係が損なわれ,将来にわたる自由で円滑な取材活動が妨げられ,報道機関の業務に深刻な影響を与え以後その遂行が困難になる」として,民事訴訟法で証言拒絶ができる「職業の秘密」に当たるとした。しかし,証言拒絶が認められるのは,「保護に値する秘密」についてのみとし,この点に関して小法廷は「報道は,民主主義社会において,国民が国政に関与するにつき重要な判断の資料を提供し,国民の知る権利に奉仕するものだ。従って,事実報道の自由は,表現の自由を規定した憲法21条の保障の下にあることはいうまでもない。報道が正しい内容を持つためには,報道の自由とともに取材の自由も憲法21条の精神に照らし十分尊重に値する。取材源の秘密は,取材の自由を確保するために必要なものとして,重要な社会的価値を有する」として,取材方法が違法である場合,取材源が開示を了承している場合,社会的価値を考慮してもなお公正な裁判を実現するために証言が不可欠な場合を除き,記者は証言を拒絶することができるとした。

ここでは「取材源がみだりに公開されると報道関係者と取材源となる者の信頼関係が損なわれ、報道関係の業務の遂行が困難になる」と言及している所が重要であると思われます。取材源秘匿のため証言拒否できる理由を、取材源との信頼関係が損なわれないようにするためと明言してるわけです。

逆に、メディアが取材源を明らかにしたことで批判を受けた例もあります。それが2007年のゼネコン談合事件に関する名誉毀損裁判。これでは日経新聞が裁判において取材源を明らかにし、報道倫理の観点から批判を受けています。

訴訟で揺らいだ日経「取材源の秘匿」 提出メモに検察幹部の実名  (1/3) – ITmedia ニュース

以下は上記リンクからの引用です。

元読売新聞記者でジャーナリストの大谷昭宏さんは「絶対に取材源を守るという信頼があるからこそ、相手は口を開く。それが、訴訟になったからといって反故(ほご)にするようでは、誰も取材に協力しなくなってしまう」と批判。「裁判などで取材源の開示を求められた記者が証言を拒否することはあるが、逆に自ら取材源を明らかにするとは理解できない」と話す。

報道倫理の観点では『取材源は絶対に守る』というのが鉄則であり、それは報道関係の業務を円滑に進める為なわけですね。

理由なく取材源との約束を反故にした朝日新聞

でもって、今回の件です。

上記の日経新聞も取材源を漏らしてしまいましたが、それには『取材源を明示しないと裁判に負けてしまうケースが多い』という現状があり、裁判における立証のあり方にも疑問が向けられています。

しかし今回、取材源との約束を反故にして遺族のプライバシーを公開した朝日新聞に、その必然性はあったんでしょうか。無いですよね。わざわざ実名やfacebookの写真を無断転載せず、『遺族の一人のコメント』として紹介すれば良かっただけの話です。本件に関しては取材源を秘匿したところで朝日新聞側に何の被害もないはずです。にもかかわらず、実名を公開しないとする約束を反故にした。

この朝日新聞の行為は、最高裁における『取材源の秘密は,取材の自由を確保するために必要なものとして,重要な社会的価値を有する』という判例に真っ向から背くものであり、メディアと取材源との信頼関係を著しく損なうものです。それは将来にわたって取材対象となる人間に報道機関に対する不信感を負わせ、報道業務の円滑な遂行に著しく支障をきたすものです。

あえて言おう、ゴミであると

メディアが『マスゴミ』の呼称を得て久しい昨今ですが、私はこの言葉があまり好きではありませんでした。

だってどう見ても蔑称だし、メディアも自社の政治的立ち位置があるからある程度特定の主張に傾くのも仕方ないかなぁ、と。

しかし、今回の朝日新聞の行為に対しては、もはや酌量の余地は無いと思う。

必要もなく取材源となった遺族の心を踏みにじり、将来にわたる取材源と報道機関の信頼関係を踏みにじり、コンテンツとして売りだした。

マスゴミって呼ばれても仕方ない。

いやここは、ガンダムのあの名言をもじって朝日新聞に捧げようと思う。

『あえて言おう。ゴミであると』

P.S.

あえてリンクは貼りませんが、このブログを書いてるうちにも某報道機関が被害者の実名を公表しやがったと。

なんなのおまえら。

ばかなのしぬの?

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